雑記

 

創作なぞなぞ

 

あの世にいてもこの世にいても食べられる魚ってな〜んだ?

 

 

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夏がけっこう好きだったりする。暑いのは布団から出る理由になる。冬のスンとした感じも嫌いではないが布団から出られないのは良くない。あれではずっと寝てしまう。

 

何をするにも気合いは必要で、布団から出るためには相当な量のそれが要る。

布団から出て、家の外に出てしまえばあとはその勢いでだいたいどうにかなる。夏は布団から出るまでに必要な気合いの量が少なくて済むから良い。

 

とはいえここ最近はずっと部屋でダラダラとしている日もあり、何がそうさせるのかは分からない。季節のせいではないのだけれど。

 

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電車に乗ってなんとなく外を眺めているとどこぞの高校のグラウンドで野球部が朝練しているのが目に入る。

こんなに暑い中早朝から激しい運動をこなしている彼らを見て「自分も頑張らねば」と思うも数秒後には景色は別のものに切り替わり、自分のやる気も数秒前に置き去りにされてしまう。夕方には景色を見たことも忘れているだろう。白球を追いかける彼らには何の関係もないことだ。

 

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先日部屋に泊めてくれた友人に対して「バットを振らないと始まらないよ」などと偉そうにも言い放ってしまったが、一方で私はまだ打席にも立てずにいる。

 

試合じゃなくてキャッチボールがしたいんよ、といなされてしまった。

彼はそんなことを言いながらもこちらのあずかり知らないところでふらっとバッターボックスに現れてホームランを打っていくのだろう。そんな気がしてならない。彼は私よりずっと野球ができるのだ。

 

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なぞなぞの答え: ししゃも

 

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昔と比べてどうしようもない感情の発露みたいなものが少なくなった。思いきり笑ったり泣いたり叫んだり、それぐらいウワーっと自分の体を通して気持ちが溢れてしまうような体験を最後にしたのはいつだっただろうと考えてしまう。

 

年輪が増えていくように経験や時間が層のように自分を覆っているのだとしたら、それらを突き破ってしまうほどの感動がないと発露には至らないだろう。成長するというのはそういうことで、大人になった私達はフィルターを通してほどほどの感情を出し入れすることで均衡を保っているのかもしれない。

 

しかしながら時には重なった層を突き破ったり取り去ったりしてくれるものが人生には必要な気もする。それは特別な経験であったり、何かを続けた先にある気付きによって得られるものではないかと思う。

 

音楽はそういうものの一つとして自分の人生を豊かにしてくれているのかもしれない、など。

 

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夏がけっこう好きだったりする。今年は星を見に行ったり、花火を見に行ったり、草むらが波打っているのを見に行ったり、地面に寝転んで空を眺めたり、そういうことをしたい。

 

夏でなくてもいいのだけれど、できれば夏のうちに。

 

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ライブの予定

 

9/28(土) colormal サポート

Pop Music vol.7

 

山口周南rise

開場17:30/開演18:00

前売2,000円+1ドリンク

(高校生以下0円+1ドリンク)

 

[出演]

For Tracy Hyde

fedress

colormal

Shiki

花束とカーテン